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■上地雄輔

●上地雄輔(かみじ ゆうすけ、1979年(昭和54年)4月18日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手。歌手グループ「羞恥心」の「心」・アラジンのメンバー。神奈川県横須賀市浦賀出身。身長178cm、体重67kg。所属事務所はジャパン・ミュージックエンターテインメント。愛称は「ゆうちゃん」、「ゆうにい」「心」(羞恥心の「心」より。)、「上地君」「かみちゃん」「ユースケ」など多数。2009年3月11日に遊助名義で「ひまわり」という楽曲で歌手デビューした。

●上地雄輔は、1979年4月18日、神奈川県横須賀市で長男として誕生。6歳から野球を始め、小中学時代に日本選抜に選ばれ野球の世界大会に出場。中学時代でも軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。中学三年生時には、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。高校は私立横浜高等学校に進学。在学時は硬式野球部に所属し、捕手のポジションを務めた。その1年後輩に松坂大輔(現ボストンレッドソックス)がおり、松坂が入部して最初にバッテリーを組んでいた。2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男(現中日ドラゴンズブルペン捕手)に譲った。

●上地雄輔は、複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたが、芸能界のスカウトを受け、俳優としての道を志す。1999年にTBS系の連続ドラマ『L×I×V×E』でデビュー。2005年には、ドラマ『アストロ球団』に出演。その後も端役ながら数々のドラマや映画に出演し、活躍する。
2007年6月、『クイズ!ヘキサゴンII』にスリルな夜 子育ての天才(2007年)で、ゲスト出演した結果、ゲストとして初の最下位で、珍解答を連発。その後レギュラー解答者となり、『おバカキャラ』として一躍名が知られるようになる。また、2007年8月には、同時期に出演していたつるの・野久保とともに『羞恥心 』というユニットを結成し、2008年4月には歌手デビューも果たした。

●上地雄輔は、2008年6月4日には自身のオフィシャルブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネスブックに認定された。
本人が「役者志向」と語るように、バラエティー番組に出演する傍らで俳優活動も変わらず着々と進め、2008年4月、ドラマ『ROOKIES』では普段のキャラクターとは全く違う人物を演じ注目を浴びた。また、同年10月には『セレブと貧乏太郎』にて上戸彩と共に自身初の主演を務め、同時期放送の『スクラップ・ティーチャー?教師再生?』でも準主役で出演するなど、俳優としても活動の場を広げている。2009年には、大河ドラマ『天地人』に小早川秀秋役で出演する。

●上地雄輔は、2009年2月に『チョコをあげたい男性』に1位に選ばれた。
『クイズ!ヘキサゴンII』では「かみじ」が誤読されやすいためか、字幕スーパーでは漢字の上に振り仮名が付けられている時期があった。父方の祖父が沖縄県宮古島生まれであり、「上地」姓もここに由来する。当地では通例「うえち」と読む苗字であるが、父方の祖父が読み方を「かみじ」から「うえち」に改名したが、3日で「かみじ」にもどした。
人見知りをせず誰とでもすぐ仲良くなるため、男女年齢問わず交友関係は幅広い。
上地雄輔本人によるブログ『神児遊助』が非常に好評であり、テレビ内でブログ王子と紹介される事も多い。
同じく上地雄輔本人による著書、「上地雄輔物語」は、タレント関連書籍の初動売り上げの新記録を樹立している。

●上地雄輔は、両親が共働きだったため、上地は自他共に認めるおじいちゃんっ子と自称している。
実父は横須賀市議会議員の上地克明(無所属・昭和62年初当選・現在6期目)。公式サイトの中の日記においても本人とのやり取りについて度々綴られている。また、弟が1人いるが、一般人ということもありほとんど公表されていない。

●上地雄輔が小学生の頃父親に言われた「これからは良い事をされたら100倍にして返せ! その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。」という言葉は、長い月日が経ってもブログ等に登場しており、上地の心の内に強く残っている。

●上地雄輔の少年時代の夢はプロ野球選手だった。
1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめ、4番を張る。中学時代でも軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。また、中学三年生の年、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。ちなみに、横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では形だけ理科部に所属した。

●上地雄輔は、中学時代に計38校からスカウトを受け、名門私立横浜高等学校に進学。在学時は硬式野球部に所属し、捕手のポジションを務めた。その1年後輩に松坂大輔(ボストンレッドソックス)がおり、松坂が入部して最初にバッテリーを組んでいたのが上地だった。2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男(現中日ドラゴンズブルペン捕手)に譲った。

●上地雄輔は、右腕の神経を断裂した際、監督や家族にも言わず、回復していると嘘をつき数え切れないほどの病院を五ヶ月間一人で渡り歩いたが、回復の兆しはなく、部屋で一人泣く日もあったという。しかし、泣いていたのを見つかり全てを明かし、その翌日枕元に置いてあった母親からの手紙の最後の三行に、「降り止まない雨はないんだよ」「出口がないトンネルはないんだよ」「今が最低だと思うなら、これ以上の最低はないんだよ」と記述してあり心打たれたという。それを読んだ上地は、「夢に向かって日々努力できないなら死んだほうがましだ」と書いた紙を壁に貼り、両親らと病院をしらみつぶしに探した。そして、治る可能性は五分五分という手術を迷わず受け、リハビリを経てなんとか大会に間に合わせた。また、足の靭帯も怪我をしている時期がある等、高校時代は怪我とも戦う事が多かった。

●上地雄輔は、高校卒業前も複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが断り芸能界に入った。また、野球を止めた理由として怪我を強調される場面もあるが、本人は、「怪我が治って直ぐの大会で以前と変わらない2番で出場だと言い渡された時、喜びより安心感が大きかった自分に絶望した」という理由を挙げている。「いつの間にか好きと言う気持ちを焦りと義務感が上回り、大切なものを見失ってしまっていた」とも語っている。

●上地雄輔は、2008年1月19日に行われた松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ(横浜スタジアム)では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。打撃では最初の打席でツーランホームランを放ち、その後決勝犠飛を放って3打点の活躍をあげた。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。

●上地雄輔は、阪神ファンであり、1985年(当時6歳)に阪神が優勝したのを見て感動し、自らも野球をやることを決意したという。ちなみに弟は巨人ファンでポジションはピッチャーだった。また、既に故人となっている祖父の1人はかつて、社会人野球で鳴らしたプレイヤーと「上地雄輔物語」で語っている事から、野球とは縁があった模様。


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